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【重要なお知らせ】ブログの引越しをします

視聴者の方から過去のログが探しにくいといったご指摘やスマートフォンでの見にくさ、コンテンツの単調さ、内容の薄さなど色んな問題があり、今回ブログの引越しをさせていただくことになりました。 思えばこのブログも約5年くらい行なっていたんですね。 最初の方は本当に思ったことなんか書...

2017年9月3日日曜日

認知症看護認定看護師教育課程について思うこと①

2017年7月〜2018年2月まである教育期間で認知症看護の認定看護師教育を受けている。
現在2017年9月上旬なのでだいたい2ヶ月経ったところだ。たくさんのレポート・試験という1つ目の山場を超えたので、一度振り返っておこうと思う。

●くりかえし
 7月上旬から引越しをしてアパートを借りて暮らしている。もう早いものでここでの生活も約2ヶ月が経つ。職場を離れ、仲間からを離れ、患者からを離れ、家族から離れた空虚な時間を埋めるように、レポートを書いては、またレポートを書いて、試験勉強をしてと、なんとも様変わりしない日々を過ごす。同じ通学路を辿り、同じスーパーに通い、同じご飯を作って食べて、同じ時間に寝て起きて。今週がまた始まるのかと月曜日が憂鬱になり、金曜日になるとちょっと気分が軽くなる。病棟で看護師をしているとバラバラ勤務なので曜日感覚は失われるし、夜勤をしているので眠る時間もバラバラである。何もかもが規則正しくなっていく生活は新鮮だけれども、やっぱり物足りない。それだけでは飽きてしまう。平日の昼間にショッピングセンターを歩くときの優越感、美容院の予約も空いている時間を選べてしまうVIP感。夜勤明けで昼間から飲酒をするという背徳感がいつのまにか快感になる看護師もいる。看護師という仕事の強化子は仕事が終わってからの日常に転がっていて、それを拾ってはまた辛い苦しい仕事に向かっているのであろう。

●強化子
 人は強化子に触れているときそれが強化子だと気づかない。離れてしまってそれが強化子であったということに気づくのである。臨床で患者さんと一緒に何か取り組むとき、患者さんの変化を肌で感じたとき、患者さんが本気で喜んでくれたの身体の感覚はもうしばらく体験していないのだけど、その感覚を欲しているのである。「患者さんのために役立つことを少しでもやらなきゃいけない。」そうやってぼんやり考えていると、「なんで認知症だけを勉強してるんだろう」「早く帰らなきゃいけない」とも考えてしまう。
たまに職場の仲間が連絡をくれたり、食べ物を持ってきてくれたりする。病棟での私はあまりこうしたことをしてこなかったので、反省するとともに、強化子を時々ふるまってくれるその仲間を尊敬する。
 そして私は、こうした堪え難い消去バーストと戦っているのである。でも消去されてしまわないように私は、患者さんのことや仲間のことを時々思い出しては「早く現場に戻らないと」「なんでこんなとこにいるんだろう」と思うものである。

●メンバー
 2ヶ月という期間があれば季節もすぐに変わってしまう。ここで過ごす夏はもう終わってしまい、秋が新しく顔を覗かせている。教室では和気あいあいとした雰囲気が包まれている。全国から集まった33人が、9〜16時過ぎまで授業を受けている。これまでに行ったグループワークはおよそ10回くらい。これまでの課題レポートもおよそ10課題くらい、試験は3つ実施した。授業が終わってから、グループワークのために21時まで残ったり、課題レポートをしたり。飲み会も大きなもので2回くらいは行っている。グループラインは盛んで、気がつくとラインの未読数が相当な数になっている。出身や年齢も違うメンバーがこんなにも溶け合うのが素晴らしい。病棟なんかでは女性同士の派閥が作られていたりして、とても見苦しいものなんだけれど、そういうを今のところ感じたことがない。

●講師
老年看護学のレジェンドは痺れることをいう。
「過去を知らなければ、未来に流されてしまう。未来が掴めなくなる。」
「勇気を持ってあなたが気づいたなら、あなたが変えなさい。」
こうした看護の心を伝えてくれることが、私にとって大きな学びになる。私は知識だけを学びにきたつもりはなく、こうしたことをもっと知りたいと思っているからである。
一方で、認知症認定看護師が講師としてきた授業は今のところヒットしたものがない。「認知症ケア加算1を取るために来ている」と言われてしまうこともよくある。私たちはケア加算を取りにここにきているわけではない。私たちは病院のコマではないのだ。やるべきことがあって、それに向かっていくためにお金と時間をかけてここにいる。誰もが病院のためにという大義名分で来ているとしたら、その病院の看護は死んでいく。
そして認知症、認知症とやたらとうるさいのである。認知症の人とその家族だけを助ければ良いのか。そうではないはずだ。我々看護師が対象とする看護の範囲はとても広いのだ。認知症や高齢者は権利擁護とか尊重しましょうとかいうけど、精神障害者が出てきた瞬間差別的発言をするのは、私は許せなく感じてしまう。

あと6ヶ月。試験と実習という大きな山がこれから待ち受けている。
これから私はどのように変化していくのか。私はどこに向かっていくのか。


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