私の身近なところに、‘なんでも質問する’やつがいる。
そんなやつを見ていると楽しくもあり、愛嬌もでてくる。そしてやつを羨ましくも思う。
「質問すると恥をかく」という認知を私は持っている。
「質問するやつは馬鹿だと思われる」という認知もあるかもしれない。
やつは、そんな私のどうでもよい認知をふっとばしてくれる、モデルである。
そんなやつになりたくて、私はケース発表を通して恥かき訓練を何度か試みている。
アホみたいに質問しまくる、それで楽しそうにしている、それは恥かきという不安を乗り越えなければ手に入らない。
「教えてほしい。」そんな言葉を言えなくなった、今の自分を超えるもの、それが恥をかくということである。
恥をまき散らすことを目的に色んなところでケース発表を行おうとしている、そして今回がその発表である。
コロキウムではアホみたいに聞きまくった。直観的に間違っていないと思ったコメントも、なんだか躊躇していけないケースもあった。だから、まだしっかりと恥かきをできていない。
恥かき訓練はつまりはエクスポージャーである。エクスポージャーは儀式妨害をしてしまうと、意味がなくなってしまう。でも儀式妨害となることがたくさんあった。
それは参加者のあたたかさである。とてもサポーティブだった。レジェンドクラスの先生の谷先生、熊野先生、鈴木先生、神村先生、岡嶋先生、坂井先生皆さんが意見をくださって嬉しかった。恥をかく不安を惹起させることができなかった。レジェンドの先生方が不安惹起を抑制したのである。
さらに参加していた先生方も儀式妨害を抑制した。先生方には私より若い方も多かったのであるが、私の体調を気遣ってくれたり、発表する緊張をほぐしてくれた。しかし、それは儀式妨害を邪魔するもの。恥かき訓練を阻害する因子だった。
会場にいたみんながみんな、私の儀式妨害をいつも妨害した。笑顔で声をかけてくれた。会釈してくれた。挨拶してくれた。なんで、みんな私のエクスポージャーを阻害する?なぜ優しくしてくれる?なぜ感謝させてくれるんだろう。
発表の途中で、私はもうエクスポージャーは中止した。私は今日ここにいた先生のことを忘れないでいようと、そう思った。先生方の名前を覚えておいて、今度会った時に「あのときはありがとうございました。」とちゃんと伝えたい。
CBTをともに勉強してきた仲間にも一緒にコロキウムに参加してもらった。彼に「尊敬する」と何度も言われた。私はそんなあなたを実は尊敬している。そんな彼もケース発表中にしっかりと質問をしてくれて、嬉しく感じてしまい、エクスポージャーとならなかった。
コロキウムでの発表はランナーズハイのような作用がある。発表すれば、誰かが自分のことを何か言ってくれて、発表後にも自分のケースや仕事について聞いてくれたりする。
そんな最高の強化子はあまり日常であまりない。
高校の文化祭を思い出した。高校の文化祭でライブをした。そのライブの後には色んな人が声をかけてくれて、それがとても嬉しかった、高揚した。そのときの自分に近い感覚だった。
コロキウムの発表は山登りに似ているかもしれない。しかもかなりハードな山。山は過酷で死さえ想起するけど、山から下りたときには日常生活が非常に新鮮に(マインドフルに)感じるのである。
今はまさにそういう反応が出ている。患者さんに接する姿勢が今日は違う。コロ・ロスに陥っている。コロ・ロスというのは一種のオペラント消去なのであろうか。
懇親会も楽しかったなぁ。
神戸の夜景も神戸牛も異人館も全てよい思い出になった。
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